マイホーム成功ナビ!全国の工務店・職人さん・建築士(建築家)検索サイト

「耐震偽装事件」 二審は県の過失を認めず

FrontPage

「耐震偽装事件」 二審は県の過失を認めず

平成22年10月30日

  • 建設業界を震撼させた耐震偽装事件で、愛知県半田市の「センターワンホテル半田」が、建築確認を怠ったとして、県とコンサルタント会社などを相手に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が29日に行われ、名古屋高裁は、県とコンサル会社などに約5700万円の支払いを命じた名古屋地裁の一審判決を変更し、コンサル会社のみに増額した約1億6100万円の支払いを命じましたが、県への請求は棄却しました。
  • この訴訟では、責任が県にあるかが最大の焦点でした。
    判決では、「建築確認審査に要求される判断基準に照らすと、審査に過失があったとはいえず、注意義務違反は認められない」との判断のようです。
  • 建築主が建築確認審査の過失を問う同種訴訟では、名古屋のほかに5地裁と大阪高裁で判決が出ていますが、行政側の過失を認めたのは名古屋地裁のみだそうです。

この司法判断は到底納得できるものではありません。

  • この行政行為は、建築確認前の「着工を禁止」しています。その意味は、建築をしてよいのか、ダメなのかの判断での「砦」を意味していることは明らかです。
  • また、そうでなければ、行政の建築確認の意味がありませんし、着工を禁止しているということは、多くの者が指摘している上記の「最後の砦」としてのチェック機能を行政側が担っていると「認めている意味」であるはずです。
    しかし、司法判断は違いました。
  • 司法判断では、「故意または重過失による見逃しがない限り、注意義務違反は問われない」と判断、また、建築主事の役割を「関係法令で直接定められた項目以外、審査する義務はない」としているということは、安全確保のために一般的な基準も考慮すべきだとした一審の考えと180度違い、マニュアルに従った業務のみで、建築主事の「専門性から考えるに至る事のできる考慮」は必要なく、注意義務もその程度のものでしかないと明言しているということです。

(時間的制約に関しては、今後よい方向に向かうよう議論して行かなければならないことですが・・・・・)


  • では、莫大な費用の掛かる建築工事に対し、誰がこの重い責任を担うのでしょうか。
    「残った対象者」は「建築士」あるいは、「施工者」しかいません。
  • 問題となった耐震偽装は故意に犯した行為であってモラルの問題であり、そのことに関しては厳しく裁かれて然るべきですが、多くの建築士はもちろんモラルに反するような行為を故意に行うようなことはしていません。
    ただ、物事は人間のやることですから故意ではなくとも当然ミスもありえます。
  • 建築に限らず物事の様々な業務は、忘却・勘違い・思い違い・書き違い・調査不足・認識不足等の様々な理由によるミスを防ぐための「ダブルチェック・トリプルチェック」の機能がないとまずい。
  • 少なくとも建築に限っては、その精査・確認のチェック機能を放棄する(あるいは、していた)ということなのでしょうか?
  • また、責任は委任(準委任)された建築士や請負った施工業者にしかないのでしょうか?


  • 例えば建築士には、施工者に対する権限も持ち合わせていません。
    なにか施工上の不具合や欠陥を見つけた場合でも、意見・指導等は行いますが、それを従わせることのできる明確な権限は持っていません。
    仮に施工者に悪意がある場合、並びに施工者がいい加減だった場合に建築士はどうすることもできないのです。
    (そのような場合、建築主の立場に立って、建築主・依頼主に報告、並びに判断・アドバイス等をし、依頼された建築主の利益を守る手立てをします。)
  • 語弊があるかもしれませんが、極端に言えば、建築士は決められた規模等での設計を行うことが出来る資格を与えられているだけだともいえます。
    (権限に関して言えば)
  • 当然、然るべき資格を所持した専門家である建築士にも責任を課せられるのは当たり前ですが、権限を与えてもらえず、その責任の重さに従った適正な報酬も授からない市井の建築士には限界があるでしょう。
  • また、特に耐震偽装事件後は、権限がないにも拘らず責任だけが建築士の背中に重く圧し掛かる傾向にあります。
  • 資格を持つことによって生業としている職業の例として、「委任契約」の形態である弁護士にあるレベルでの様々な権限が与えられているのに対し、「それに近い準委任契約」の建築士に権限が与えられない理由がわかるでしょうか。
  • 弁護士にあらゆる権限が与えられているのは、超難関である司法試験とその後の司法修習、並びに2回試験と呼ばれる司法修習考試に合格した優れた知性に期待している事だけが、その理由ではありません。
  • 弁護士や、あるいは司法書士、行政書士などの、「ほぼその職業のみで依頼された業務が完結する」ような職業と違い、ありとあらゆる沢山の業者が関与し、その沢山の業者の協力の下に完成させる「物造りである」建築は、建築士のみでは到底業務を完結することはできません。
  • つまり、資格を生業とする職業のなかではかなり特殊?ともいえる職業なのです。
    当然ですよね。極端に言えば、書類とコミュニケーション等で完結できる職業と、現場作業を伴う物造りの職業とでは職種にあまりの違いがあります。
    関与する人間の数も、(紙媒体を含めた)様々な物資の数・量も桁が違う。
  • これほどの沢山の業者が入り乱れていて、且つ、完成させるためにはどの業種も重要であるこの特殊な建設業界の形態では、資格を所持した建築士といえど、ひとつの職業に権限を与えてしまうわけには行かないのです。
  • あらゆる業種が重要だということは、つまり各業者皆の責任も重いということでもあります。
    また、「問題が起きたら」ではなく、日常での行政の関与も常に求められなければならない、且つ責任も必要で重くあるべきだということです。
  • 業界の特殊性から建築士に権限を与えない、与えられないのであれば、建築士と行政、並びに施工者、及び第三者機関等を絡めた責任の分担がなされなければならないのは、費用の掛かり方が半端ではない建築(建設)工事において、消費者保護の観点で見れば当然なわけであり、権限と力を持ち得ない資格者のみに極端に責任を集中させることは、消費者・国民にとっても不利益でしかありません。
    • 『権限と力を持ち得ない者は、当然のこととして報酬等に関する形態が、権限を持ちえる職種(たとえば弁護士)のように確立・優遇されておらず、したがって経済力の力も持ち合わせていません。そのような者に責任だけを集中させても保障等の面でも疑問符が付き、消費者の不利益となります。』


  • そして、物事にはチェック機能(権限等は関係なく必要)の充実が必要とされて然るべきはずですが、今回の判決はその論理・観点からも外れており、責任を負うのは業務に携わった民間の人間・会社のみで、公的なチェック機能の必要性とその責任も問われないという事となります。
    建築確認に行政の砦の意味とチェック機能を持たせていないということは、言葉を変えれば、判決以前に「建築主等の消費者保護の考えは行政並びに国は持っていない」ということであります。
  • 少なくとも社会秩序の観点からは一般庶民は到底納得できるものではないでしょうし、その行政・国の在り方、考え方では実際に社会秩序が保てません。
  • この司法判断の影響は大きく、「ハンコ行政」が、現在の法令では肯定されたということであり、行政は責任を伴うまでの保護と精査はしないし、建築主等の消費者の運命には行政は関知しない、責任は建築士や施工業者等の直接業務に関与した民間人・民間企業のみが負うべきで、彼らに請求・追求・訴えなさいということです。
  • この事に関する現在の法律・法令の定めに不備や不当な部分があるとしても、「今現在(当時)の法令に従って」の判断として、名古屋高裁のその判断は適正であり仕方のない事かもしれないとして暫定した場合、この判断が国民の不利益になるのは間違いありません。
    国や行政に国民を保護する責任を負わせ国民の社会生活に安心を与えるためには、不備な法令・規則等を改めるため法改正するしか社会秩序を回避する方法はなく、世論がよほど押し上げなければ途方もない時間が掛かってしまいます。

  • 業界に激震が走った耐震偽装問題によって、表面的には様々な改革が行われましたが、その多くは建築士法に関する法改正や試験制度の改正・見直し等であり、建築確認に関しても、無駄な図面の提出義務や改正においての各自治体の実務的変更の把握の不備等、設計者に負担が掛かるいっぽうの確認作業となりました。
  • また、このような改革は、この事件の根本の原因である「モラルの欠如」と「チェック機能の不備」を、あたかも建築士の「能力に原因」があったかの如く論点を据え変え、建築士のみに事件の責任を負わせた形としただけで、世論に対し国の建前上の行動を示しただけです。
  • 力・権力をなにも持ち得ず、国や行政の勝手な決め事に何一つ反論や反発のできない市井の建築士に全ての責任を押し付けて、時間の経過と共に世論の批判を回避した形となっています。
  • このような改正(改悪?)と今回の司法判断は、建築士のみならず、もちろん消費者の不利益となるものです。


  • 今回の裁判で、まだ諦めていない弁護士をよそめに、「センターワンホテル半田」の中川三郎社長は自分の家も売り払い精根尽き果てたようで、上告の余力も現時点ではたぶんなく、ガックリとうなだれていました・・・・・。
  • 難しい裁判を闘おうとするのならば、優秀な弁護士を雇う事を含め相当な裁判費用と時間的拘束を余儀なくされるものであり、中川社長に限らず、力のない我々一般庶民には、裁判で争うチャンスすら与えてもらえない場合があるのです。

powered by Quick Homepage Maker 4.77
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

カンジダ